髙島 春生
創業者の髙島春生(大正9年5月22生)は、昭和13年(1938年)4月に東京府土木部橋梁課に就職し、在職中に日本大学高等工学校土木科に在籍、 昭和16年(1941年)3月に卒業後、5年間兵役に従事、復員後昭和21年(1946年)7月から東京都建設局道路課橋梁係に復職した。
昭和44年(1969年)6月に東京都建設局第五建設事務所橋梁建設課長を退職して、 同年7月、建設コンサルタントの「株式会社中央技術コンサルタンツ(新宿)」に副社長(技術本部長)として就職。
その後、昭和48年(1973年)8月に退職し、同年10月4日「株式会社高島橋梁研究所」を資本金100万円で創立した。
当初の本社登記は自宅の東京都狛江市和泉とし、髙島春生を代表取締役として同氏兄弟の髙島真雄を役員、 髙島喜生を監査役とし、橋梁設計の専門コンサルタントとしてスタートした。
創業当時の思い出
創業当時の思い出を、当時学生であったご子息の峯生さんにお聞きすると、
「父の依頼で橋梁の交通量調査に駆り出された。狛江の事務所は応接室兼書斎が仕事場だった。原宿(渋谷)の事務所は狭いマンションのような一室で、御用列車のホームがすぐ下に見える静かな事務所だった」と話されていた。
創業当初から東京都建設局及び周辺自治体、道路公団(現NEXCO)などの橋梁計画・設計の実務指導を行い、後継者を育成した。
指導は電子計算機一辺倒の設計・製図を危惧し、まずは手計算による構造解析と作図による教育を重視していた。
早くから橋梁診断と維持補修の必要性を説き、その集大成として別記の著書を上梓している。橋梁の保全業務は、今日でも会社の主要な業務となっている。
主な著書及び論文は下記の通りで、特に「道路橋の横分配実用計算法」は多くの橋梁技術者に読まれ影響を与えた。